« スコットランドの素敵な景色 | トップページ | バス移動 »

2017年8月15日 (火)

2017/08/15ジジイとリーゼントの相似性にみる高田氏の特異性について


精一杯、つっぱる。それが強い男か?
懐疑的に感じる。なぜなら、強い男は突っ張らない。
ヒクソングレーシーをみればわかる。
偶然、高田延彦氏との一戦を終えて帰国する彼に
成田空港で出会った。サインをもらった。
穏やかな人だ。しかし、その眼光と
身にまとう空気が尋常ではない。
威圧とはまさにこういうことだ、そう思った。
人気漫画ワンピースに覇気というのがあるが
作り事ではなく現実にあることを知っている。

その日のヒクソンは
ルーズな白のポロシャツと赤だったと思うが
やはりルーズな短パン。
キャップを被っていたが
顔には圧倒的有利な試合運びではあったが
やはり若干の試合の後であることを感じさせる変化が
消えきらずにあった。

若いころは相当に自分の体力と戦闘能力に自信があったし
無軌道さにも満ち満ちていたが、
目前の男が危険生物であることは
若輩の勘違い小僧にも瞬時に察知できた。
強いとはこういうことだと思った。

彼にはリーゼントも剃り込みも細眉もない。
ありのままだ。
強い者からは、ありのままで強さの気が放たれる。

赤ん坊の頃、祖父の背中ですごすことが多かった。
とにかく寝ない赤ん坊でだったのと、
母親は祖母の店の手伝いを優先する立場にあったので
そういうことになった。

ジジイの背中で育ったのだから
ジジイにあまり抵抗はなかった。
むしろ子供の頃からジジイと絡むのが好きだった。
ジジイのジジイ仲間にもよく絡まれた。

物心ついてからも、割と皆が訝るタイプの
ジジイ連中ともよく絡んだ。
代の地元育ちなので
おー、馬屋のせがれ。真面目にやってるか!
うるせーな、ジジイ!
それが挨拶代わりだった。

当時のジジイはなぜだかみんな
偉そうだった。。。
私が子供なぶんだけそう強く感じたのかも知れない。
それにしても
どうして偉そうなジジイ達は一様に口がへの字なのだろう?
子供なりの素朴な疑問だった。

イノッキ、ガール!
この一戦のあとで彼らは親友になった。
この異種格闘技戦のルールの縛りは
圧倒的に猪木に不利。
知らずにみれば、なんだよ猪木となるが
多少なりとも格闘技をやっていればわかる。
ヘビー級ボクサーに圧倒的有利なルール。
そこで戦う恐怖を誰が乗り越えられるだろう?
今、全く同じルールの下でトップクラスのヘビー級ボクサーと
戦う勇気のあるプロレスラーはいるだろうか?

世紀の凡戦と素人馬鹿記者どもは書き立てたが
子供ながら両者の偉大さを感じた。
そして、
不利なルールにもかかわらずアリを追い詰めた猪木。
最後までローキックに耐えた抜いたアリのプライドの高さ。
凡戦と映るのは迫真の戦いであった証拠だ。
息の詰る一戦だったと思っている。

何がいいたいかというと
口のへの字なジジイも
リーゼントのツッパリ小僧も
並べて比べてみるとすると
異種格闘戦のようなもので
実は大きな差はないと思うということだ。

弱さを隠してツッパる。
弱い自分でいたくないからツッパる。

ジジイではあるがだてにお飾りを潜っていはいない。
青二才どもに舐められてたまるか、ということでへの字の口。

どちらも、がんばっている。
いきがっている。
そんないきがり方は悪くはないと思う。

すぐに腹を上に向けて
弱がってみせるヘナチョコよりは
気概を感じるからだ。

世間に媚びず、
人に媚びず、
じぶんらしく。

リーゼントの突っ張りも、口のへの字なジジイも
似たようなものである。
どちらも、ややこしいものではあるが、
その精神性において認めるべきところはあると思う。
ただ、変な絡まれ方は御免だ。
それさえなければ
ひとつの生き方、人のあり様として尊重する。

私の目標とするところの高田純次氏。
この方がそのままのキャラでジジイになるとすると
新種ジジイの誕生だと思う。
威厳ある重厚さよりも、
軽妙な変幻自在ぶりを誇る
適当なジジイ。

しかし、適当であることによって
決して人にも世間にも媚びないという
新たな方向性の自己実現だ。
これぞ新種ジジイだ。
どうせジジイになるのならそこを目指したい。
そうなれたらうれしいと思っている。

今日は、こんな馬鹿げたことを考えてみました。
そろそろ、緩みきった頭のお盆モードを
引き締めなければなりません。
それでは、そろそろ気分を引き締める今日をお過ごしください。
TightenupYourself!

« スコットランドの素敵な景色 | トップページ | バス移動 »